海外に富士山を。最後の「銭湯絵師」が挑む、人生最後の“夢”
知らない人でも、心を許しあって一緒に湯に浸かり、同じ“心地よさ”を共有する──。福岡から上京以来、21歳の和田恵介さんが心の拠り所としているのは、銭湯だ。
日本ならではの、人とのつながりを感じる空間で、特に和田さんが好きだというのが、湯けむりの奥にそびえる雄大な「富士山絵」。
自宅の浴室にも富士山絵を飾るほど、銭湯と富士山絵にハマった和田さんは、数々の銭湯をめぐるように。そんななか、あることに気がついた。どの銭湯の富士山にも、絵の右下に小さく「ナカジマ」とサインされていることを。
日本でたった2人だけの
「銭湯絵師」
気になった和田さんは、行きつけの銭湯でサインの「ナカジマ」なる人物について質問。すると「直接あってみれば?」と、スタッフの紹介を通じて面会できることになった。
サインの主人、ナカジマさんこと中島盛夫さんは、日本でわずか2人だけと言われている「銭湯絵師」のひとり。
1945年、福島県に生まれた中島さんは68年に上京し、町工場で働いていたそうだが、たまたま銭湯でみた「富士山」に目を奪われ、背景絵師に弟子入り。以来60年にわたって、日本各地の銭湯・施設に富士山を描き続けてきた。
2016年には、厚生労働省の「匠の技の認定」を銭湯絵師として初めて受賞。この道を極めてきた生粋の職人だ。和田さんが出会った「ナカジマ」印の富士山絵も、すべて中島さんによるもの。
最後の銭湯絵師が語った夢
願ってもない「ナカジマ」さんとの面会に興奮するも、ここで和田さんは驚きの事実を知ることになる。なんでも、日本で活動する現役の銭湯絵師は、たった2人なのだそう。
これだけ温浴施設が全国で今なお愛され、人々の拠りどころとなっているのに、その象徴たる富士山絵を描けるのは、中島さんをおいて他にいない……。中島さん、そして後を引き継ぐお弟子さんの存在がいかに貴重であるかをあらためて実感した和田さん。
そんな和田さんに、勇退の時期もそろそろ考え始めていた銭湯絵師が人生最後の夢を語った。
「一度でいいから海外の大きな壁に富士山を描いてみたい」
レジャーやリラクゼーションを目的とした温浴施設が近年増加してきたいっぽうで、富士山絵をかかげる公衆浴場(銭湯)は減少の一途。こうした状況のなか、富士山絵の文化を世界に広めたい。願わくば未来へとそれを遺したい。それは、寡黙な職人が長年自分の心の内だけに秘めた情熱だったのかもしれない。
79歳のラストチャレンジ
動き出す21歳
「中島さんの夢を叶えられるのは自分しかいない」。高校生時代にニュージーランドへ留学していた和田さんは、現地の友人たちに向かって声かけを始めた。すると、友人の紹介で現地の人たちが来場する人気イベント「Japan Fiesta」の主催者とつながるこができた。
中島さんの夢や銭湯文化継承の思いを代弁した和田さんの熱意が主催者に届いた。今年10月に開催される「Japan Fiesta EX 2024」への中島さんの出演が決定。中島さんが富士山を描くライブペインティングを見ながら、参加者は足湯に浸かって銭湯体験ができるイベントを催せることになった。
銭湯文化を富士に託す
一生一大のクラファン
またとないこの機会……だが、現地へ赴くための経済的負担はかなり大きい。そこで、和田さんはクラウドファンディングをスタート。中島さんの人生最後の夢をかけて、8月20日までに最終目標額の120万円達成を目指すこととなった。2人はこの機会を1回限りのものではなく、銭湯文化を世界に広めるための足掛かりにしたいと考えている。
以下は中島さんからのメッセージを添えたい。
“私が初めて銭湯絵と出会ったとき、その末広がりな富士山の美しい形に惚れ、銭湯絵師になることを決めました。海外でも類を見ない、連山でもなく八の字に綺麗に広がった富士山は日本の象徴です。そして、銭湯絵師が世界にたったの2人しかいない今、この文化を海外に広めていきたいと考えています。私が愛する銭湯文化が世界中でも多くの人に愛され、未来に残していけたらという想いです”
中島盛夫人生最後の夢、そして日本文化の継承をかけて──海の向こうを見つめる彼らにもうひとつ吉報が届きますように。
『【日本に2人だけ】銭湯絵師・中島盛夫さんの「海外に富士山を描く」夢を応援したい』
【CAMPFIRE プロジェクトURL】https://camp-fire.jp/projects/view/773599