愛知・瀬戸にある「窯垣の小径」は、素朴なリサイクルアートだった
瀬戸の奥へ奥へと向かうと、変わった壁に出会う。陶器で出来たアイコニックな幾何学模様は、瀬戸観光のパンフレットでは定番で、窯垣(かまがき)と呼ばれるものだ。
かつての窯業の中心地にこの窯垣が集まっているので、「窯垣の小径(かまがきのこみち)」と名付けられた観光エリアもある。しかし観てほしいのはメインスポットだけではなく、その周りに潜む天然の窯垣たちだ。
忘れ去られはじめていた
瀬戸のリアル
窯垣は、今でこそ美しく並べられた模様が目を惹くが、かつては積極的に “美しさ” を求めて並べられたものではない。瀬戸市の至るところにあった登り窯の生産過程で出る廃棄物の処理に困り、石垣の代わりに作られたものだった。つまり、実用を兼ねたリサイクルだったのだ。
しかし民芸運動を興した柳宗悦がこの地を訪れたときに「窯垣は、美しい。大事にしたほうがいい」と言ったものを、今も残る本業窯の6代目当主が心にとどめ、窯垣を守る運動を始めたという。その時すでに、窯垣の上に家を建てている人たちですら、なぜこのような模様をしているのかわからなくなっていたほど、過去のものになっていた。
今は、本業窯の当主をはじめとした地元の有志の努力によって、次第に街全体で保護するようになったという。市が整備した「窯垣の小径」も、かつては急な斜面に切り立つ難所だったはずだが、今では絶好の散歩道だ。
柳宗悦の目を止めた
「素朴さ」
小径を歩くだけでも、窯業の中心地だった洞町を眺めることができて十分に感慨深いのだけれど、時間があれば道を外れていってみてほしい。美しく工夫を凝らした窯垣があったり、無作為に重ねていっただけの素朴なものや、あまりきれいに並べてもいない、出来損ないとも言える窯垣もある。
これらが、長年ともなった苔をむしていたり、絶妙なエイジングを経ていて美しいのだ。
「窯垣の小径」の資料館で
おばあちゃんが教えてくれた
なぜゆえに窯垣ができたのか。そもそも、器でもなんでもない円柱と板は、なんだったのか。その謎を解くカギは、小径の傍らにある資料館で見つかる。
80歳を超えるおばあちゃんたちがボランティアで案内している資料館、門をくぐると最初に目に入るのがこの棚だ。
巨大な窯の内部空間に、無駄なく焼き物を詰めるためには、高温に耐える棚を作る必要があった。絶えず1300度の高熱にさらされる、これら棚の構成物「エンゴロ(製品を保護するための器)、エブタ(棚板)、ツク(棚板を支える柱)」は、繰り返し使われることで傷み、廃棄物となる。
おばあちゃんたちはビデオを上映しながら、どうやって瀬戸の男衆が棚板を組み上げて、熱気の立ち上る窯の前で燃料を入れ続けたのかを、とくとくと説明してくれた。