今、僕が韓国のインディーに夢中になる理由

 

ライター、フォトグラファーとして、音楽シーンを中心に、これまでUS、日本、ヨーロッパなど各地で活動し、現行のリアルなシーンを記録してきた。

 

菊地佑樹/ライター、フォトグラファー

世界の音楽カルチャーの中に自ら飛び込み、現行のリアルなシーンを写真や文章で記録する。Mac Demarcoのオフィシャル・フォトグラファーとして、これまでに『Another Demo One』のアルバム・カヴァーを撮影し、2017年にはアメリカ・ツアーにも帯同。フジロックやコーチェラではバンドと共にステージに上がり、撮影し、踊り、歌うなど、活動は多岐に渡る。日本では『POPEYE』などの媒体で文章を寄稿し、ミュージック・ビデオを制作しつつ、海外で出会ったミュージシャンの来日公演をディレクション、バンドとツアーを共に周りサポートしている。昨年発表した自費出版の写真集『REAL RECOGNIZE REAL』は、アートブックフェアの期間で即完。現在はコロナで来日公演がキャンセルになってしまったアーティストをメインにした映像配信を企画中。

 

衝撃だった。初来日を果たした韓国のバンド、パラソルのライヴを見て、僕は震えていた。聞き馴染みのない韓国語の語感、欧米の音楽とは明らかに違う新鮮な響きのメロディー、しかしコーラス・ペダルを介したギターの音の先には、欧米インディー・ミュージックへのリスペクトを感じる不思議。三人から鳴らされてるとは思えない演奏技術は圧巻で、僕は口を開けたまま、彼らの演奏を食らいつくように見ていた。出会ったことのない音楽が、僕の目の前に広がっていた。

ライヴが終わったあと、どうしても感想を伝えたくて、パラソルのヴォーカルに話し掛けにいくと、返ってきたのはなんとも流暢な日本語。「YouTubeで見つけた、ガキの使いが面白くて、それをたくさん見たら、日本語を覚えていた」衝撃と驚きが続いた夜、生まれて初めて韓国の友達が僕に出来た。

 

 

その後、パラソルのヴォーカルのチ・ユネとは頻繁に連絡を取り合う仲になっていた。メールの締めくくりになると、チ君はいつも僕にこう促した。「韓国にはいつ来ますか?」日本と韓国の国交の溝が広がるなか、僕とチくんの距離はどんどん狭まっていた。

韓国行きのフライトを調べてみると、画面に映し出されたのは、往復でたった15,000円という数字。驚く僕はすぐにチ君にメールを送信。「韓国に来てくれたら、僕の友達も、僕の好きなご飯屋さんも全部紹介する。それに僕の家にも泊まっていいよ」チ君の返事を見て安心したぼくは、期待に胸を踊らせ、遂に韓国行きを決意した。

 

 

バイクで迎えに来てくれたチ君と、弘大(ホンデ)駅で再会した。まだ十一月だというのに極寒のソウル。チ君が気を利かせて持ってきてくれたジャンパーを羽織って、ヘルメットを被ると、僕たち二人が乗るバイクは、街灯がきらきら光るソウルの街の中へと走り出した。

チ君は僕を色んな場所に連れていってくれた。ミュージシャンや音楽好きが集うミュージックバーの『ストレンジフルーツ』、韓国のオールド・スクールなロックが聴けるパブの『コプチャンチョンゴル』、音楽イベントも行われる喫茶店の『ルルララ』、レコードに限らずカセットも多く取り扱う『キンパ・レコード』、チくんもお世話になっているブンガ・ブンガ・レコードの事務所。

訪れた様々な場所で、チ君は所縁のあるミュージシャンたちを僕に紹介してくれた。シリカゲル、セソニョン、ウィダンス、バイ・バイ・バッドマン、コガソン、キョジョン、クナム、チャン・ギハと顔たち、スルタン・オブ・ザ・ディスコ、クドンヌンチャニャンソゲソウリヌン(In The Endless Zanhyang We Are)。

韓国語を話せないどころか、彼らの活動も知らなかったのに、彼らは温かく僕を迎え入れてくれた。チ君以外のみんなとは片言の英語で喋らなくてはいけなかったけど、アメリカにいる時に時折感じる、コミュニケーションが上手く取れない劣等感を感じることはなく、むしろコミュニケーションは弾んで、すぐにみんなと打ち解けることができた。

同じアジアンであるということ、第一言語が英語じゃないこと、音楽好きなこと、きっと、たくさんの共通項が僕たちにあることを、僕たちはお互いに認識していったんだと思う。

 

 

チ君の紹介のおかげで、僕はシリカゲルのメンバーとも仲良くなって、ラッキーなことに、シリカゲルのライヴに遊びに行かせて貰えることになった! 

シリカゲルのライヴは、パラソルのライヴを観て芽が出た、僕の中にあった韓国の音楽と音楽シーンへの興味と関心を一気に開花させてくれた。メイン・ストリームに通じるポップさが特徴かと思えば、インディー特有のDIYな捻くれた側面が顔を覗かせたり、シリカゲルのバラエティーに富んだ音楽にも、パラソルとは違った面白さと新しさを感じた。ライヴ後、彼らの代表曲のタイトルが“ネオ・ソウル”だと知って妙に納得。

 

 

ライヴの打ち上げで、サムギョプサルを頬張りながら、チ君やシリカゲルをはじめ、シリカゲルのライヴに遊びに来ていた韓国のミュージシャンたちと韓国にまつわる様々な話で盛り上がった。

韓国のインディーで一番ベースが上手いのは誰かとか、ウイニングイレブンのカフェがあってそれが流行っていることとか、韓国で今どんな服装が流行っているかとか、ソウルのアートブックフェアについてとか、それだけじゃなく、韓国では今ヒップホップが流行っていること、そのため才能のある多くの若者がビートメイカーになろうとしていること、音大を出ている人たちが音楽業界で幅を利かせていること、芸能文化がいまも根強く残っていて、民法のテレビに出ないと売れることが難しいこと(ヒョゴも売れ始めたきっかけはテレビのバラエティー番組への出演だったそう)、男性は二十代のうちに徴兵に駆り出されること……「え!」

「シリカゲルのみんなはもう徴兵に行ったってこと?」 困惑した顔のシリカゲルのメンバー五人。「実は来年から行かなきゃいけないんだ」「その間の活動はどうするの?」「ライヴもリリースも何もできないよ。活動してるのがバレたら捕まっちゃうからね」「でもさっき、韓国大衆音楽賞の新人賞を取ったって言ってたじゃん。それで免除とかはないの?」「それがあったらよかったんだけど……」するとシリカゲルのヴォーカルのハンジュが「でもあと数百キロ離れた北朝鮮で生まれていたら、僕たちは十一年間徴兵に行かなきゃいけなかった。そう思えばましだよ」これだけ日本と近い国のことなのに、知らないことでいっぱいだった。

 

 

日本に帰国した直後、シリカゲルは徴兵による一時的な活動休止を発表(今年無事兵役を終え、8月23日にニューシングルを遂にリリースした)。同じく徴兵という理由で、セソニョンからベースのムンペンシとドラムのカントも脱退。パラソルとチャン・ギハと顔たちも活動休止。しかし僕が抱く韓国の音楽に対する関心は、衰えるどころか年々増すばかり。最近では、オジョンや空中泥棒などの新しいアーティストも見つけて、韓国の音楽シーンに更なる注目を向けている。

 

 

徴兵に行くことを義務付けられ、良い大学に入ることが目標とされる、芸能文化が今も根深い韓国で、大きな力や資本がなく、インディーとして音楽活動を自分たちで続けることがどれだけ難しいことか、僕には想像することしかできない。

韓国のインディー・バンドには、良い意味でのゆとりのなさを感じる。それは完璧主義で情熱的な質感を彼らの音楽に与えている気がする。音程の外れることのないヴォーカル、始まりから終わりまで続く精密な演奏、縦横無尽な展開……etc。何かに追い込まれることによって研ぎ澄まされた、張り詰めた音。しかしその音に冷たさはなく、それは僕が出会った彼らのように、温かくて優しい。

僕は今、そんな韓国の音楽に夢中。

 

©菊地佑樹

初めて韓国を訪れたときに撮ったパラソルの写真。彼らはもう解散してしまったけど、この写真を僕は今でも大切にしている。

Top image: © 菊地佑樹
TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。