『君主論』のマキャヴェッリからアドバイス。「今日から悪人になろう」
ニッコロ・マキャヴェッリの名前を聞いたことがありますか?
16世紀、まだバラバラだった激動のイタリアに登場した政治思想家です。『君主論』で有名な彼の主張は「良いリーダーとは獅子のようにどう猛で、狐のように狡猾でなくてはならない」というもの。一見、「ずるい政治家」や「暴君」を良しとしているように見えるこの考え方ですが、実は彼が伝えたかった大事な点は他にもあったよう。
「The School of Life」が分析した、彼からの5段階のメッセージを受け取ってみてください。
01.
「いい人至上主義」って
おかしくない?
「悪人」よりは「いい人」の方が良いに決まってる。小さな頃からずっとそう習ってきた人も多いでしょう。人に親切にされたいなら、他人にも親切に。でも本当にそれって機能しているのでしょうか?「いい人」であればみんなハッピーエンドを迎えられるのでしょうか?
マキャヴェッリはイタリアをはじめとしたヨーロッパの歴史をさらってみて、こう思ったのです。「結局大成する人はただの『いい人』じゃない。時にはためらわず暴力を振るい、嘘をつくのも上手い人のほうがずっと成功しやすい。なぜだ?どこか『いい人』が『悪人』に負けている決定的な面があるはず…。どうしたら勝てるんだ?」
こうして「いい人至上主義」に疑問を投げかけて生まれたのが彼の『君主論』でした。
02.
いい人は「いい行動」に
囚われすぎなんじゃない?
マキャヴェッリは気づきました。「悪人」は「いい人」よりはるかに様々な上手いやり方を心得ているということに。一方、いい人は悪人のやり方を悪いものとして即排除して、見ていないことが多いのです。
「ただの『いい人』よりも『悪人』の方が多くを知っていて、賢いじゃないか!」
いい人は「いい人であること」に身を捧げすぎるから崩れると、彼は言います。「キリストだって、生きている間はずっと『いい人』だったけど、最後は弟子に裏切られ、嘲笑われ、十字架に磔にされ見世物にされて、苦しみながらなすすべもなく殺された。彼は、磔刑にされるまでだけを見れば、歴史上でも稀に見る負け組だ」
03.
敵を知らなきゃ、敵に勝てない
こうした状況を打破するには、「いい人」も悪知恵を身につけておかないといけません。堂々たるリーダーは最も根性の捻じ曲がった人々から、もっとも稼いでいるやり手の経営者は、上手い口先で勝負する詐欺師から「いい人」の知り得ないことを学ぶべきだと彼は考えました。
「思いもよらないもの、嫌ってるものからレッスンを受けなきゃいけない。自分にないものを吸収しないといけない」
「いい人」すぎるべからず!敵は知っていることを我々が知らないのは危険なのです。
04.
ペンも剣も両方使えたほうが
いいに決まってる
邪悪な発想や悪知恵をためらわない人のほうが強い。それは彼らが思い切ったことをできてしまうからでもあります。しかし、だからと言って、マキャヴェッリは「根っからの悪人になれ」とは言いません。
「ペンは剣よりも強し」というけれど、誰が片方しか使ってはいけないと言ったのでしょう?剣を持ったからと言って、ペンを捨てる必要はありません。悪知恵を蓄え、時にはズルになれというのは、世界や自分をより良くするためであって、常識や良心、温かい心を捨てろということではないのです。
「正義の女神」の像も、片手に天秤、片手に剣を持っています。いざという時を逃さないために、あらゆる手を使えるようにしなければならないのです。
05.
思うだけじゃ、何も始まらない
このように、『君主論』には「いい人」であるだけでなく、効果的であるためのすすめが書かれています。
私たちは究極的には、やり遂げたことのまとめなのであって、意図したもののまとめじゃない。つまり、理念が崇高であればそれでいいわけじゃなくて、ある程度は効果を出さないといけない。考えているだけでは、何も変わりません。知恵や親切さ、誠実さ、美徳などを重んじるにしても、それしかないんじゃ意味がない。
本当の物差しは「何を思うかではなく、何をするか」なのだと。これらを踏まえてもう一度、冒頭の「良いリーダー」の条件を読むと、さっきとはちょっと違ってみえてきませんか?