私たちは「浜松」の本当の魅力を見過ごしていたのかもしれない。
「浜松」という街には、訪れるたびに驚かされる。まずはこの3分のドキュメンタリーを見てほしい。
もちろん、まったくイメージがなかったわけではない。うなぎ、餃子といったグルメもあるし、マリンアクティビティも楽しめそうだ。しかし、浜松のポテンシャルはいつも想像を超えてくる。
なんといっても海あり、山あり、川あり、湖あり、と超がつくほど自然豊か。全国を見渡しても珍しい環境を有し、この街で育まれた食材はバリエーションも豊富。自然環境に加え、歴史や文化、ビジネス都市としての機能まである。
もしかしたら、私たちは「浜松」の本当の魅力を見過ごしていたのかもしれない。
「浜松のうなぎは、個性があるからおもしろい」
まずは、「浜松=うなぎ」という強烈なイメージを生み出した環境や浜名湖の養殖の歴史を伺ってきた。浜名湖うなぎは日本最古の120年の歴史がある。
「日本で一番うなぎ養殖の歴史が長いのが浜松市です。うちで祖父の代から50〜60年くらい」。そう話してくれたのは養鰻家の古橋さん。海水と淡水が入り混じった浜名湖の地形と、地下300mほどから組み上げる綺麗な水が、活きの良いうなぎを育んでいるそう。
「山々から三方原台地を通って地下を潤す自然の地層で濾された水と、ほどよい塩水。少し塩気を与えることでうなぎが元気になることもあるのでそこを丁寧に管理しています」
「養殖」と言っても、すべて同じように育っているわけではないそうだ。
「旬を作らずいつでもおいしいっていうのは基本ですが、浜名湖のうなぎは育ち具合によって本当に個性が溢れていて、いつ食べても新しい発見があります。浜松は日照時間が日本一になったこともあるくらい温暖で水も良質なので、うなぎにとっては素晴らしい環境ですよ」
なるほど、自分好みのうなぎを求めて何度も訪れるのも良いし、浜松には白岩水神社の「うなぎ井戸」や大歳神社の「うなぎ昇りの御朱印」といった、うなぎにまつわるスポットもある。浜松の養殖うなぎには、一度だけではもったいない、何度でも味わうべき価値があるようだ。
「天竜川の存在が、林業、そして音楽の都へとつながっている」
次に、天竜川漁業協同組合の矢高弘記さんのもとへ。鮎養殖のヒミツを紐解くことで「天竜川」の魅力が見えてきた。
「鮎は古来から天竜川で泳いでいた魚の遺伝子を継いでいるので、やはりこの川にふさわしい魚だと思います。昔は『紫鮎』なんて呼ばれ、他の河川では見られない色合いだったそうです」
長野県の諏訪湖を源流とし遠州灘まで流れる天竜川は、その急流な様子から「暴れ天竜」と言われるほど。一方で木材や鉱石の運搬ルートとして、また水力発電などの源として、産業や文化を発展させる生命線だったそうだ。
「木材が多かったことで加工技術が磨かれ、楽器作りが盛んな街になったと聞きます。天竜川をひとつのきっかけに、農作物や海産物など自然由来のものが行き来し、地域のみんなが生き生きと働くことで産業の発展につながったのでしょうね。浜松は自然と共生しながらいろいろなものを生み出していく土地柄だと思います」
「浜松の凧は、みんなの気持ちをつなぎ、五月晴れの空に舞う」
浜松には「やらまいか」という言葉がある。「やってやろう」「やってみよう」という意味で、その象徴のひとつが、浜松まつりの凧揚げ。
「ゴールデンウィークの3日間に開催しています。長男の誕生を祝して、凧には家紋と長男の名前が入っていますので、その凧が落ちないように各町の合戦が始まるわけです」と、その魅力を教えてくれる朝比奈さん。
はじまりは約460年前。当時の浜松を治めていた引間城主が長男誕生を祝って凧揚げをしたのがきっかけだそう。現在、凧は最大10帖の大きさがあり、参加町数は170か町以上にのぼる。
「凧揚げの準備を通して近隣のみんなとのふれあいが増えるのも特徴ですね。お祝いをした子が10年後には小学生になっているわけです。この子は10年前に凧を揚げた○○さんの子だなって。そういうつながりが生まれるわけです。祭りの夜は屋台の引き回しがあり、女の子たちがお囃子を鳴らして運行して、とても幻想的で綺麗なんですよ」
一方、祭りの主役でもある「凧」をつくる職人さんのもとへ。
「浜松にはやらまいか精神というのがあって、その精神が受け継がれて街全体が盛り上がっているなという感じがしますね。まずはやってやろう、と。お祭りはそういう人と人との付き合いのきっかけになりますから」と、伊藤さん。
現在は、娘さんと一緒に制作しているそう。
家業の凧制作を手伝いはじめて12年ほど、という娘の友岐さん。
「私以前はすべて男性の職人さんでした。ただ、浜松で一番大きなお祭りの伝統を絶やしたくない、伊藤家が代々やってきたものを途切れさせたくない、という思いで受け継いでいます。やはり浜松まつりで使われる凧はお子さんが産まれたお祝いの凧なので『おめでとう』という気持ちを込めて制作しています。5月の青空に凧が揚がるのはすごく綺麗なので、ぜひ直接ご覧になっていただきたいなと思います」
地域をつなぎ、伝統をつなぐ。
浜松まつりは「やらまいか精神」を根っこに、今でも浜松市民の心をつなげている。
「角度を変えると本質が見えてくる。この庭がそれを教えてくれる」
次にやってきたのが「東海地方随一」と評される庭園を持つ龍潭寺。行基が1300年以上前に開いた古刹である。住職の武藤宗甫さんの興味深いお話を聞きながら、浜松の歴史に思いを馳せてみた。
「この庭園は、井伊直政の息子である直孝が、作庭の名手小堀遠州に依頼してつくられたものです。小堀遠州は二条城や桂離宮、南禅寺の塔頭にある金地院などでたくさんの石庭をつくっていて、その石組の巧さが特徴的です。またこの庭は皐月の花が多く、四季折々で色や見方が変わる。皐月を人間とするならば、いろいろと変わりゆくなかでも石の形は変わらない、という普遍や永遠を感じてもらいたかったのではないでしょうか」
「じつは小堀遠州は、正面だけではなく、横からもこの庭を見てもらいたかった。実際に見てもらうと、違う表情が見えてくる。人間もなにごともそうだけど、いろいろな角度で見ることによって本質が見えてくる。このお庭はそう教えてくれているような気がするんですよね」
そう、今回の旅も、浜松の多面的な魅力を掘り下げるためだった。
「浜松には海があり、湖があり、山があり、川がある。そんな豊かな自然に育まれた人たちが刺激しあって、つくり上げた街。歴史やしきたりも大事にしながら、新しいことをやっていこうという若い人たちもいる。大事にしていきたいですよね」
だんだん見えてきた
浜松の本当の魅力
さて、ここで、文頭の「浜松という街には、訪れるたびに驚かされる」という話に戻ろう。
観光ガイドやスポット検索だけでは伝わりきらない「浜松の本当の魅力」が少しずつ見えてきたのではないだろうか。
豊富な水資源はもちろん、山間部の魅力、都市部とのつながりも含めて、豊かな自然に囲まれているからこそ、そこに住む人たちも生き生きと暮らし、今の浜松がある。
それはまるで、「日本の魅力」をまるごとぎゅっと詰め込んだような街だと言えるのではないだろうか。
浜松が気になった方は、こちらのサイトもチェック。