腹八分を超えて食べ過ぎてしまう「ホントの理由」。
「腹八分」という言葉がありますが、どうして人はこれを超えて食べ過ぎてしまうのでしょうか?本当の意味での“飢え”とはなんなのか。「The School of Life」の動画から探っていきましょう。
食生活を変えるだけでなく、根本的な問題を解決する必要がありそうですよ。
私たちが本当に
必要としているものとは
私たちは欲しいものを何でもスーパーマーケットで買えるように思っています。レストランに行けば美味しくて満足できる料理を提供してもらえるでしょう。しかし、そこに本当の「満足」はあるのでしょうか。
確かに、高級なロブスター・テルミドールに心が躍ったり、ピレネー山脈の小さな農場から調達されたオリーブオイルで地元の野菜を味わったりすることはできます。
しかし、実際に私たちが選びたいメニューは他にあります。たとえば…
「父親とのストレスのない会話~お互いの許しのマリネ~」
「柔らかな母性愛(批判のない食事を求める人に適しています)」
「気の知れた仲間との、ちょっぴりビターな愛のある冗談」
「哀れな逸話で彩られた新鮮な会話(2人分)」
「セクシーな味わいの付け合わせ(ソムリエはフルボディのシャトー・ファンタジーもおすすめします)」
そしてデザートに「蜂蜜の洞察力の大きなスクープ」、または「理解の涙が溢れる思いやりの瞬間」。言い換えれば、私たちが必要としているのは食べものではないのです。
一般的なレストランのメニューは、私たちのほんの限られた一部分の欲求、つまり「食欲」しか満たしてくれません。けれど、私たちが本当に欲しいものは、ピザでもスペインチーズでもアルゼンチンステーキでもありません。食べものは私たちの話を聴いてくれはしないからです。
私たちに必要なのは、自分の最も暗い部分を告白でき、それを許してくれる「友達」。心が危機に陥ったときにその存在は大いに役立ち、私たちが最悪の状況に耐えられるだけの安心感を与えてくれます。家族の中で孤立する寂しさと怒りを抱えた私たちの心はいつも、救いと慈悲深い誠実さを求めて叫んでいます。また、仕事で自分の才能を見出し、成功に導いてくれる人の存在を必要としてもいるのですから。
ポテトチップスを食べながら、本当はこれでは問題が解決しないことをわかっているはず。でも、どうすれば解決するかわからないし、一時的な満足感を得られるので食べるのをやめられません。
私たちが食べ過ぎてしまうのは、自分の心を守ろうとするあまりに自分自身の体を粗末にしてしまうからです。この問題の持つ悲しみは、際限ない食欲などではありません。私たちの心に栄養を与える、感情的、心理的なものを得ることがあまりに難しいという点なのです。
ダイエット業界は、私たちの不幸の兆しを見せつけているだけで、この根本的問題を解決するに至っていません。彼らが提供する方法は一時的で脆弱なものであり、永遠に堂々巡りが続いていくことでしょう。
数百年前、ほとんどの人が食べることに喜びを見出すことは不可能でした。それ以降、たくさんの人々の工夫によって、食卓は豊かなものへと変わっていき、美味しいものを食べることができるようになりました。それは当初の期待を遥かに超えて成功したのです。
しかし、私たちが日々消費しているその他のもの、すなわち、理解や優しさ、許しや和解、信頼は、手に入れることがまだまだ難しい状態です。
それでも、私たちは食べものに手を伸ばし続けます。本当に欲しいものに手が届かないことは分かっていながら。