脱力フェミニズム.01
アニエス・ヴァルダが教えてくれた「わたしの体はわたしのもの」

わたしはフェミニストです。

真剣にフェミニストをやっていて、女性運動にも関わっています。いきなり宣言してしまいしたが、実は大学などでフェミニズムやジェンダーについて専門的な知識を学んだことはありません。わたしがフェミニズムに出会った頃はSNSがない時代で得られる情報は少なく、しかも本も読まず、上野千鶴子さんにも興味がない(それは今もですが…)、ふんわりとしたフェミニストでした。

それでも、わたしのなかに生えたフェミニズムの芽は枯れることなくゆるゆると成長し、エッセイから学術書までたくさん本を読むようになり、今ではフェミニズムに関わる仕事をするようになりました。

さて、「100分de名著」というNHKの人気番組がありますが、なんと年明けに出演者が女性だけのスペシャル版「100分deフェミニズム」が放送されたように、ここ数年フェミニズムに関心が集まっています。フェミニズムとの付き合い方は人それぞれですが、ジェンダー問わず、どんな人にとってもその視点や知恵は生き延びるための力になるはずです。

この連載では、わたしのようになんとなくフェミニズムに興味をもった人が、肩肘張らずにフェミニズムと長く付き合っていけるよう、おすすめの本、映画、ドラマなどを紹介していきます。

フェミニスト映画作家
アニエス・ヴァルダのこと

© zaziefilms/Youtube

連載1回目は、わたしがフェミニズムに興味をもつきっかけとなった映画についてお話します。

フランスのアニエス・ヴァルダという映画作家をご存じでしょうか? ヌーヴェル・ヴァーグと言えばゴダールやトリュフォーを真っ先に思い浮かべる方も多いと思いますが、実は1954年のヴァルダの作品『ラ・ポワント・クールト』がヌーヴェル・ヴァーグの始まりと言われています。これについてあまり知られていないのは、やはり映画界が男性中心の世界であり、ヴァルダが「女流」とされているからでしょう。

知っている方も多いと思いますが、映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインの長年にわたる女性俳優への性加害が2017年に報じられました。プロデューサーという立場を利用した許しがたい性暴力を繰り返していて、白人男性中心である映画界の性差別問題が注目されるようになったのです。2018年のカンヌ映画祭では82人の女性が映画界の性差別に抗議するために行進し、ヴァルダは代表して平等な環境を求める声明を読み上げました。

残念ながらその翌年、この世を去りましたが、生涯現役でフィクション、ドキュメンタリーともに、数多くの作品を撮り続けたシネアスト(映画作家)でした。

わたしがフェミニストになった映画
『歌う女 歌わない女』

わたしが初めて観たヴァルダの作品は『5時から7時までのクレオ』(1962年制作)です。まだ10代だったわたしはフェミニズムの視点などまったくもっておらず、パリの風景や音楽にただただ酔いしれていました。

それでも、ヴァルダの撮る映像にどんどん魅かれ、日本で上映され、ビデオやDVD化されたものはすべて観るようになりました(ヴァルダの最高傑作と言われている1985年の作品冬の旅が再ロードショー中なので、是非劇場でご覧いただきたいです)。

© zaziefilms/Youtube

そんななか出会ったのが1977年に制作された『歌う女・歌わない女』という作品です。

主人公は、中絶禁止法や家父長制的社会などに苦しむふたりの女性。日本を含め世界中でウーマン・リブ(女性解放運動)が盛り上がっていた時代が描かれていて、フランスで実際に起きた人工妊娠中絶合法化を求める運動の様子も盛り込まれています。

「え!フランスって1970年代まで中絶禁止だったの?」

『歌う女・歌わない女』を観たときにとても驚いたことをよく覚えています。カトリックの影響もあり、フランスでは当時人工妊娠中絶が認められておらず、非合法の危険な手術を受ける人や海外での中絶ツアーに参加する人が多かったそうです。

しかし、1972年に望まぬ妊娠で非合法の中絶をした学生やその母親などが起訴される事件が起こります。フェミニスト弁護士のジゼル・アリミや作家のシモーヌ・ド・ボーヴォワールが中心となり、起訴は不当だと抗議運動を起こし、1975年の人工妊娠中絶合法化(ヴェイユ法)に至りました(『歌う女・歌わない女』にはアリミ弁護士が本人出演するシーンがあり、ドキュメンタリーとフィクションをあいまいにするヴァルダらしい演出だと思います)。

2021年にアリミ弁護士のゆるぎなき自由: 女性弁護士ジゼル・アリミの生涯が翻訳出版されたので、この運動について詳しく知りたい方は是非読んでみてください。

日本に堕胎罪があること
知っていますか?

ヴェイユ法を知ったわたしは日本でいつから中絶ができるようになったのか気になって調べてみると、なんと刑法に堕胎罪があり、基本的に中絶は禁止されていることを初めて知ることに。病院で中絶を相談するシーンをドラマで何度も見たことがあるんだけど……当然日本では人工妊娠中絶が合法化されていると思い込んでいたので非常に驚いたことを覚えています。

しかし、ドラマで描かれているように中絶手術が日本で可能なのは「優生保護法」という法律(1948年成立)が存在し、母性の生命健康保護や経済理由による人工妊娠中絶が認められているからだったのです。

一見、女性の体を守ってくれる法律のように思われるかもしれませんが、実はこの「優生保護法」、障害者が子どもを産まないようにするための強制不妊手術を可能にするおぞましい法律でした。この手術によって多くの障害者が産む/産まないを選択する権利を奪われ、2018年から被害者(ほとんどが高齢)が国を提訴するようになりました。

『歌う女・歌わない女』で主人公のポムが「Mon corps est à moi(わたしの体はわたしのもの)」と裁判所前で歌うシーンがあります。このメッセージはわたしのフェミニズムの根幹になりました。1996年、「優生保護法」は「母体保護法」に改正され、障害者への優生手術に関する条文は削除されましたが、自分の性や体のあり方を他者や国が決めることがどれほど恐ろしいことか気づかせてくれたのは、ヴァルダの作品だったのです。

1994年、「性と生殖に関する健康と権利(リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)」が国際人口開発会議で提唱されました。わたしは、ここまでの道すじをつけてくれた女性たちのひとりがアニエス・ヴァルダだと思っています。

もっと詳しく知りたい方へ

① 『歌う女・歌わない女
ふたりの女性の1962年から1976年までの人生を描いた長編フィクション。過去に日本語字幕付きDVDが発売されていたが、残念ながら現在は品切れ。

『シモーヌ』VOL.4 特集:アニエス・ヴァルダ
フェミニズム視点でヴァルダの作品を読み解く画期的な特集。1974年の本人によるエッセイも収録してあり、日本語でヴァルダの文章を読める貴重な1冊。

③『ゆるぎなき自由: 女性弁護士ジゼル・アリミの生涯』
家父長制的社会通念と闘ってきたアリミ弁護士は「わたしの体はわたしのもの」を法廷にもちこんだフェミニストと言えるでしょう。

Top image: © Micheline PELLETIER/Gamma-Rapho via Getty Images
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